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投稿者 : sasaki 投稿日時: 2012-09-07 16:33:15 (6277 ヒット)

思いがけないときのプレゼントほど嬉しいものはありません。去年9月に、日本の教会から何の前ぶれもなく、ダンボール箱が一箱届きました。中身は絵本。その時のことは、「恵のブログ」22011年10月16日に、「うれしい届き物」として掲載しました。

そして昨日、また、思いがけない絵本の箱が届いたのです!第一便を送ってくださった教会の女性会が、今年も祈りに覚えてお送りくださったものでした。国際速達郵便で送られた絵本は送料だけでも3万円近く掛かっていました。その送金は、病気治療中の方がご自身の作品をTシャツにされたのを教会に送られて、それを女性会の方々が購入されたその売り上げを献金してくださったり、また、送料を生み出すためにミニバザーを開催してくださったりしたものでした。届けてくださった絵本も、お子様の思い出の品だったり、ご夫婦で大切にされていたものを寄付してくださったというものでした。本当に、多くの方がたがお祈りに覚えてくださり、それを一つ一つ行動に移してくださり、こうして、ルワンダに送ってくださった皆様のお祈りと愛を心から感謝いたします。




さて、こうしてお送りくださった絵本は現在300冊近くになりました。前述の教会の女性会の方々を始め、集会のチラシに「ルワンダに絵本を!」と載せて地域の方々に呼びかけてくださった教会、一冊ずつ集めましたといって送ってくださった方、また、ルワンダを訪問してくださった後、ピース・インターナショナル・スクールのことを覚えて絵本を送ってくださったかた、地方連合で呼びかけて送ってくださった方、また、パプテスト連盟のスタディーツワーの方々は、寄贈された絵本を段ボール箱二個に詰めて持ってきてくださいました。その他、イギリス在住の友人も教会に呼びかけてくださり、沢山の絵本を送ってくださったのでした。この場を借りて、改めてお礼申し上げます。

ニャンザ校が開校して2年め。まだ、英語の絵本を一人で読むまでにはいかないようですが、それでも、絵本を開く子どもたちの目は輝いています。絵本がピース・インターナショナル・スクールのこどもたち一人ひとりにとって、情操面の発達に果たす役割は、大きなものになることでしょう。この12月には、私たち夫婦は、和之の勤める大学のあるブタレに引越しを計画しています。ピース・インターナショナル・スクールのあるニャンザは、キガリとブタレの途中にあるのですが、ブタレからはバスで45分ほど、キガリからより一時間ほど近くなり、これまでより、より深いかかわりを持ちたいと期待しつつ祈っています。どうぞ、皆さまの贈ってくださった絵本が、ピース・インターナショナル・スクールの子どもたちにとって、より豊かな心の成長に用いられますようにお祈りください。 


投稿者 : sasaki 投稿日時: 2012-07-06 05:04:56 (4803 ヒット)

 昨日の報告です。リーチのスタッフのフィデルさん、恵、私の三人で、「償いの家造り」を始めたいという村人たち(虐殺の加害者)に会ってきました。


場所はキガリから車で南方に30分程度のところにある東部県ブゲセラ郡ンハラマ村。大勢の避難民がたてこもっていた教会が襲撃され、5千人以上が犠牲になったことで知られる村です。その教会の建物は、今は虐殺記念施設として保存されています。


リーチは、昨年の11月末から、この村の人たちを対象に「癒しのセミナー」や「修復的正義と和解セミナー」を実施してきました。セミナーを通じての半年にわたる関係作りを経た後、今年5月に実施したセミナーの最終日に、加害者である村人たちが、「被害者のために家造りをしたい」、と申し出たのです。 昨日の話し合いでは、来週の月曜日から、イマキュレーさんという女性と彼女の子どもたちのために家造りを始めることが確認されました。


労働力は村人たちが無償で提供し、材木はイマキュレーさんが負担、他の材料はリーチが支援することで合意しました。家造りに参加する加害者の中には、プロの大工さんが2名いることも分かりました。


イマキュレーさんは、ジェノサイドにより夫と2人の子どもたちを失いました。同じ集落に住むフツの人々の助けもあり、襲撃者たちが彼女の家に捜索に来る前に、まだ1歳になっていなかった娘をおぶって湿地帯に逃げ込み、パピルスの茂みの中に隠れました。何と、その約2週間後には、そこで身籠っていた一番下の娘を出産するという、想像を絶する苦難をへてジェノサイドの地獄を生き延びた女性です。


昨日の村人たちとの話し合いの後、イマキュレーさんと一緒に、彼女の家が以前立っていた場所を訪ねました。今はトウモロコシ畑になっていますが、確かにそこには、破壊された家の側壁の一部が2つ、向かい合うようにして立っていました。


家造りに参加するのは、その集落に住む28名の虐殺加害者(男性24名、女性4名)で、ガチャチャ裁判で有罪判決を受け、服役もしくは公益労働刑の後、社会復帰が許された人々です。「今は乾期だから、力を合わせて一気に家を建てあげたい」と皆やる気満々でした。(つづく)



<これから建築現場になる土地で記念撮影>


投稿者 : sasaki 投稿日時: 2012-07-04 16:05:12 (2936 ヒット)

ご無沙汰しております。最近、ホームページへのアクセスが増えていますね。みなみななみさんの『旅をしながら』でルワンダのことが紹介されたので、それを目にした皆さんがアクセスしてくださっているのでしょうか。 表題にあるように、ルワンダは7月1日に独立50周年を迎えました。その日は政府主催の記念式典が国立のアマホロ・スタジアムでありましたが、それ以外、これと言って祝賀ムードを感じさせるものはありません。 ご存知の方も多いと思いますが、ルワンダではベルギーからの独立前夜の1959年、多数派フツによる「社会革命」により少数派ツチの権力層が排除され、多数のツチが近隣諸国に難民となって流出しました。現政権のルワンダ愛国戦線は、その時にルワンダを追われたツチ難民の第二世代が中核になっているので、その支持者にとっては、1962年の独立はツチの迫害・殺戮を続けたフツの一党独裁体制の始まり、そして、1994年のジェノサイドに通じる悲劇の始まりなのです。 そのルワンダ愛国戦線が、ジェノサイドを起こした多数派フツの独裁体制を武力によって打倒したのが7月4日。今日は、解放記念日として祝日になっています。今日はこれから、「償いのプロジェクト」が新たに始まるンハラマというところに出かけ、家造りを始めたいといっている加害者の方々の計画を聞いてきます。



投稿者 : sasaki 投稿日時: 2012-03-23 02:18:36 (23177 ヒット)


1月2日の新築祝い以来、2ヵ月半ぶりにキレヘを訪問しました。

「私たちは、豆を鍋で煮るとき、悪い豆をよりだして、いい豆だけを料理します。しかしこの人は、悪い豆も一つの鍋にいれて、料理することを選び取ってくれたのです。」

これは、この日、私たちが訪問したお宅でお話を聞いたイノセントさんが、隣に座る人を示しながらはなしてくれた言葉です。イノセントさんはジェノサイド当時の加害者、上記の言葉に出てくる「この人」(お名前を聞きそびれてしまいました。以下A さん)はイノセントさんと同じ村の出身で、ジェノサイド当時、イノセントさんを含むグループによって追撃され、家族に被害者が出ています。

私たちはその日、日本からのお客様2人をお連れして、「償いの家造り」の現場を訪ねていました。ルワンダは今、農作物の植え付け期に入り、ボランティアで家造りをしておられる元受刑者の方々も、家業の農作業に忙しいということで、いつもは週に2〜3回の家造りの活動を、週に一回のペースでされていました。この日は特別に私たちのために活動日をかえていただき、2チームの家造りの現場と、前述のイノセントさんのチームによって既に完成した家に住まわれているパトリシアさんのお宅を訪問したのでした。各チームのリーダーは、私も既にお名前と顔を確認できるセルディオさんとタデヨさん、そして、今回しっかりとそのお名前を確認することになったイノセントさん。この方たちの呼びかけによって、それぞれに20人から30人ほどの方々が集まって、ボランティアによる家造りのチームが結成されているのです。

さて、上記のイノセントさん(イノセントという名前は「けがれのない」という意味で、「無実」という意味もある)はお話の中で、リーチの活動を通して、実際に和解という道を選び取ることが出来るようになったということを強調されていました。服役中「罪の告白」をし、「ルワンダ人は一つ」ということを学びはしたけれども、それは、加害者側だけしかいない環境の中での学びだったということ、刑期を終えて自分の村に帰ってきたときに、実際の生活の場でそれは役に立たなかったこと、しかし、その現実レベルでの学びを可能にしてくれたのがリーチだったこと、リーチは、被害者と加害者を出会わせ、和解させてくれたということを話して下さったのでした。

そして今、その和解を生きる自分たちの姿を見た若者たちの中から、被害者の家族・加害者の家族という壁を乗り越えて、結婚することを選び取る人達が出てきているというのです!和之がそこで口を挟み、「そういう若者たちにあうことができますか?」とたずねたところ、イノセントさんの息子さんと、Aさんの娘さんが、結婚したのだというのでした。

この文章の始めに紹介したイノセントさんの言葉は、この事実の報告のあとに彼が語ってくれた言葉です。私には、彼のこの豆のたとえばなしがとても印象的でした。ルワンダ人は豆をよく食します。トウモロコシ、エンドウ豆、インゲン豆。それをザルに拡げて、そこから悪い豆をより分けることは、料理の前の一仕事です。悪い豆を一緒に料理してそれを食べることは誰もしようとはしません。まずい料理を誰がわざわざ好き好んで料理し食べるでしょう?しかしAさんは、その悪い豆をそのままで受け入れ、料理し、食べてくれたというのです。イノセントさんは、自分を「悪い豆」にたとえました。その「悪い」自分を、隣に座るAさん、自分の直接の被害者であるAさんが受け入れてくれたというのは、どんなに大きな喜び・救いだったことでしょう!

そして、ジェノサイドから18年が経とうしている今、その頃にはまだ小さかった子どもたちが結婚を考える年齢に達しています。その若者たちの中から、加害者・被害者、殺した側・殺された側という壁を乗り越えようと決断し、選び取り、未来に向かって歩み始めている青年たちが現れているのです。

一方、訪問した家の持ち主パトリシアさんの話は、この希望の話とは裏腹に、ジェノサイドは今もこの国民を覆う暗い現実だということを物語っていました。4月6日からのジェノサイド週間になると、ラジオからはその当時のことが物語られ、各地で追悼集会が催されます。パトリシアさんは、毎年この時期になると、フラッシュバックでとてもつらくなるというのです。「だから、そのことには触れないようにして過ごしたいのですが、周りの人の手前もあり、追悼集会に出かけないわけにもいかず、また、つらいときを迎えようとしています。」ということでした。

セルディオさんのチームの活動を最後に訪問しました。彼のチームは今では32人ほどに膨らんでいます。和解の活動の評判を聞いた人達が活動に参加しはじめ、その人数が増えているのだそうです。その中の一人は、1月の新築祝いが持たれたコンシアーナさんの息子さんで、自分の親の家を建ててくれた加害者のその償いの行いをみて、自身は被害者の家族でありながら、この家造りのボランティアに加わっています。また別の1人は、やはり、1月の新築祝いの様子が報道されたラジオ番組を聴いて、リーチの活動について興味を持ち、このチームに加わったとのことでした。この人もまた、被害者側の女性で、家族はみなジェノサイドのときに殺されて、彼女一人だけが残されたということでした。


<加害者が初めた「償いの家造り」に被害者も参加>

このチームでは、画期的なこととして、今年から相互扶助制度を立ち上げました。1月に入会金400フラン(約60円)、2月からは各月500フラン(約70円)をチームの仲間から集め、既にそのための銀行口座も設けたということでした。チームの一人が作業中に屋根から落ち、手首を怪我したことが、この、制度を発足するきっかけになったそうです。病気や事故など、まとまったお金が必要なときにそこから工面するようにしたいということでした。

今回もまた、キレヘの人々がこのように共生の道を選び取り、手探りで前向きに歩き始めている姿に大きな励ましをいただきました。私はこの日、彼らに短いメッセージを伝えました。どうぞ、この希望のともし火を掲げ続けてくださるように、私たちが彼らから学び続けることが出来ますように、そして、私自身も、あなたたちのように、希望のともし火を掲げるものでありますようにと。キレヘの人達のこの和解の歩みが、苦しみを伴った産みの苦しみのようなものでありつつも、彼らの生活の中にその歩みがしっかりと根付いたものとなるように祈りたいと思います。


投稿者 : sasaki 投稿日時: 2012-03-21 00:01:00 (3343 ヒット)

3月13日、恵と一緒に「償いの家造り」(元受刑者による被害者家族のための家造り)の現場、東部州キレへ郡を訪ねました。キガリから南東に約130キロ、私の運転だと約2時間20分程度かかります。ルワンダに約1カ月滞在中のIさんとKさん、そして、通訳としてピース・インターナショナル・スクール職員のセレスティンさんも一緒の訪問でした。

今回とても嬉しかったことが二つ。まずその一つ目を報告します。

それは、現在ボランティアでの家造りに取り組んでいる三つのグループのうちの一つを訪ねた時のことです。村に入ると、そのグループのリーダーであるイノセントさんが私たちを出迎え、まず今年の1月に出来上がった家に案内してくれました。

今度はその家の主であるパトリシアさんという女性がにこやかに、「カリブ」(スワヒリ語で「ようこそ」の意)と言って家の中に招きいれてくれました。パトリシアさんは、ジェノサイドで家族の多くを殺された後、出身の隣り村からこの村に移り住み、政府からあてがわれた傷みのひどい家に住んでいました。時としてふと影のある表情を見せることはあるものの、普段はいつも堂々としていて、私にも明るい笑顔で話しかけてくれます。

彼女のまだ完成して間もない家の中の様子をながめながら、とても嬉しくなりました。私が彼女と出会ったのは、もうかれこれ2年近く前のこと。イノセントさんを中心とした元受刑者による家造りが始まったころのことです。半年くらい前には、彼女の家の外壁に泥を塗りつける作業に参加したこともありました。

私、恵、Iさん、Kさんは、彼女の家の内外を見せてもらった後、居間に腰を下ろしてパトリシアさんとイノセントさんから話を聞かせてもらうことになりました。しばらくして、パトリシアさんを訪ねてきたもう1人の男性も話の輪に加わりました。話を聞くと、その男性はこの村で生き残った数少ない虐殺生存被害者で、イノセントさんを含むこの村の住民たちの襲撃により、家族を殺されたということでした。「彼のことも見つけ出して殺そうとずいぶん探し回ったんだ」とイノセントさん。

ジェノサイドで殺す側に回った人と殺される側に立たされた人が、同じ空間を共有している。そして、彼らがとても自然に振る舞い、言葉を交わし、しかも、共に過去に起きたことを想起している....

つい数年前まで、こんなことが実際に起きるなど、この村の誰が想像できたでしょうか?「修復的正義による和解」を目指して、償いのプロジェクトを立ち上げた私自身ですら、直接の被害者と加害者が同じ家にあがりこんで話をしている状況など想像したことはありませんでした。

「和解にとって何が一番大切なのですか?」というIさんの質問に対し、イノセントさんはこう答えました。

リーチの活動があったからこそ、私たちは和解できたんです。リーチは、刑務所から出てきた私たちが、再び被害者の人たちと関わりを持つきっかけを作ってくれました。ガチャチャ裁判の後、被害者の家を訪ねて謝罪をし、その後も、この様な活動を続けてきたからこそ、この村の若者たちの中で、被害者側の家族と加害者側の家族の障壁を乗り越えて結婚する者も出てきたんです。

この言葉に対し、さすがの私も「本当だろうか?」と思い、事実確認のために「そういうカップルに会うことができますか?」と聞いてみました。

するとイノセントさんは、「今、他の町で暮らしていますが、その1人は私の息子、お嫁さんはこの人の娘です」と、もう1人の男性の方に目をやりながら答えたのでした。その男性も、私に向かって「その通りだよ」と、それまでと変わらぬ穏やかな表情で言いました。

毎年4月6日以降の数カ月、ルワンダの人々は、当時のことを思い出しながら、辛く重苦しい日々を過ごします。それは、18年前のジェノサイドで家族を殺され、自らも生き地獄のような状況を生き延びた人々も、その時、様々な形で残虐行為に加担した人々も変わりません。そして、現政権が異なる時期にルワンダ国内そしてコンゴ民主共和国領内で犯した残虐行為の被害者に至っては、今の政治状況では、自分たちの経験を口外することすら許されていないのです。

20年程度の年月で、ルワンダの人々の悲しみは決して癒えることはないでしょう。にもかかわらず、リーチの活動に参加してきた人たちの中に、自らの過去に向き合い、それを乗り越えようとする必死の努力の中で、自分たちの「和解の物語」を紡ぎ語り始める人々が、ひとり、またひとりと生まれています。そのことに、今回あらためて心を揺さぶられたのでした。

今回の訪問の感想を恵もまとめてくれました。後ほど彼女のブログとして掲載します。


<パトリシアさんの家の前で/向かって私の左がイノセントさん、その隣がパトリシアさん>


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