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ルワンダ滞在by Ken Haraguchi

 

 

 

ルワンダでは、100 日間で100 万人の犠牲者を出した虐殺が行われた。
それはたったの14 年前の話だ。日本はその頃、松本サリン事件で大騒ぎだった。
僕は、とっても不思議な巡り会わせで、このルワンダに行く機会を得た。
ルワンダでは、虐殺の遺族と加害者の和解、という事が起こっているという。
今回の旅でお世話になる佐々木さんと言う人はその働きに従事されている。
「自分の家族を殺した人間を赦す?それはどういうことだろう?」
ワケが分からないまま、僕は押し出されるようにして日本を飛び出していった。

 

―ルワンダ滞在記―

滞在2008 年8 月14 日〜9 月13 日

原口建

!これだけは知っておきたい・ルワンダの基本情報!


人口:約1020 万人面積:九州の約3 分の2
国教:キリスト教1931 年、当時の宗主国・ベルギーの介入により国教に定められる。


植民地の歴史

1921〜1962 年 ベルギーによる間接統治。
→間接統治= ツチ族を使って、間接的に政治を行うこと。
1961年 ベルギーからの独立を求めたツチ王族をベルギー政府が廃止し、
フツ族の政権を打ち立てる。
政権から追い出されたツチ族はウガンダなどの英語圏の国に退避。
1990 年 軍備を整え政権奪取の為にルワンダに侵攻する。
ルワンダの対立は、フランス語圏国と英語圏国の代理戦争とも言える。

虐殺の歴史

1994 年の大虐殺の前にすでにツチ族の虐殺は起こっていて、その度に数千人の被害者、
また大量の国外難民を出していた。

大きな虐殺と発端 1959 年   民主選挙でフツ政党が圧勝
  1961 年 ツチ族の軍事組織RPF がルワンダに侵攻
  1973 年 ツチ族の多い地域でのリーダー格を狙った虐殺

 そして1994 年4 月6 日夜の大統領機撃墜に端を発した大虐殺はおよそ100 日間で
100 万人といわれる被害者を出した。

 

いざルワンダへ

経由名古屋→ドバイ→ウガンダ→ルワンダ
長い旅だった・・・。

 

 

 

 

 

―1 週目―

14 日(木) ルワンダ到着

佐々木恵さんと次男の共喜君が空港に出迎えてくださった。
その後2日ほど共喜君に連れられて散歩しながら街を見せてもらったりした。


街はこの数年でガラリと変わったというが、まだコンクリート舗装されていない道も多く、
赤土の地面と斜面の続く道の風景が、日本で見た虐殺の映像と重なり「ここで虐殺が行わ
れたのか。」と思うと、本当にルワンダに来たんだ、という実感が沸いてきた。

共喜君は、会った直後から「建兄ちゃん」と呼んでくれて、すぐに仲良しになった。
とてもひょうきんで甘えん坊の共喜君。可愛い・・・。
長男の仁君ともすぐに打ち解けた。
長女の萌ちゃんとも仲良くなれたけど、1 週間ほ
どしてからケニアの学校に行ってしまった。
奥さんの恵さん、和之さんも本当に優しく、
佐々木家ではその後一ヶ月間、図々しくも
ありがたいことに、何の気兼ねも無しに
過ごさせていただいた。

 


 


16 日(土) キガリ市内の虐殺記念館をたずねる。

虐殺の映像や展示された写真、証言文章などを見る。
ある展示部門は、一部屋がすべて人の写真で埋め尽くされていた。
その中で一枚、葉書が展示されていた。
「私はもうすぐ死ぬ。どうか私達のことを忘れないで欲しい。」
この葉書は誰に宛てられたものなのだろう。
その方は生き残ってこの葉書をここに寄贈したのだろうか。
それとも殺されてしまったのだろうか。
どんな気持ちで、どんな状況でこの人はこのはがきを書いたのだろう。
立ち尽くして、しばし想いを馳せた。

記念館に隣接された集団墓地だけで25 万を超える遺体が埋葬されている。
一家がすべて殺されたケースも多かったのだという。

ルワンダの虐殺は限りない傷を残したが、私達の目に見えない犠牲はそれ以上だったのだ。

虐殺記念日。集団墓地に向かう人々の列と式典の様子(佐々木氏提供)

 

17 日(日) 佐々木ご一家と共に教会で礼拝を守る。

佐々木さん達が行っている教会は大きな建物で、フランス語・英語・ルワンダ語の礼拝が
違う礼拝堂で同時に持たれていた。
大虐殺のあと教会は福音をどう伝えるのか?というのは僕が日本でずっと持っていた
疑問だったが、教会でジェノサイドに言及した人はいなかった。
教会で、後頭部に大きく裂けた傷の跡がある男性を見かけ、驚いた。
(その後も何度か、生々しい傷跡を持つ人を街のあちこちで見かけることになる。)
ジェノサイドの事が語られないのも、まだ癒えぬ傷跡の表れなのだろうか。


(ホームページ「Gendercide」より。ルワンダ虐殺のサバイバー)

 

18 日〜21 日(水) しばしダウン。

市場で買ったパッションフルーツを不注意で洗わずに食べてしまい、おなかを壊す。
上から下から出るもの全て出して、ぐったり。もうろうとした3 日間だった。
佐々木さんが病院に連れて行ってくださった。お医者さんに「なんの病気ですか?」と
たずねたら「腸の病気だ」という。「病名は?」と聞くと「腸の病気だ。」と言う。
結局、詳しいことは分からず仕舞いだった。治ったんだからまぁいいか。


ルワンダの食について

ルワンダ料理は、基本的には色々なものを皿に盛り込むスタイル。
よく食べられるのは、フライドポテト、食用バナナのトマト煮、豆を炊いたもの、
キャベツのトマト煮、牛肉のトマト煮(硬い!)など。
「ブルシェット」という羊肉や牛肉の串焼きも有名。
どれもとっても美味しいので、日本人なら食べられない人はあまり居ないと思う。
 

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