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2003年レポート

大虐殺から9年

ルワンダの正義と和解への試み−ぁ最終回)

 
悔改めの途上にある教会
大虐殺を経験したルワンダの教会にとって、「和解」とはまず悔改めによる神との和解を意味しています。私が出会ったある教会の牧師は、国民和解のプロセスにおける教会の罪責告白と悔改めの重要性を強調し、こう言いました。「ルワンダの教会が犯したのはつまるところ神でないものを神とするという罪だったのです」。まず第一に、教会は国家権力におもねり、権力者の不正義に対して沈黙してきたばかりか、彼等を神に祝福された者として賞賛することすら厭いませんでした。第二に、教会はフツとツチという偏狭な民族アイデンティティーを絶対視し、「神の民」としての一致を結果的に否定するという罪を犯しました。植民地政府の分断統治によって深刻化したフツ-ツチ間の対立が多くの教会の中をも支配していきました。そして、フツ系独裁政権がフツ至上主義を唱えてツチ系住民を排斥していくと、教会に連なる多くのフツ系住民がそれに迎合していったのでした。
 
この様に大虐殺への教会関与という事実を信仰の目で捉え、教会として公に罪を告白し悔改めるべきだという呼びかけは、これまで教派を超えて様々なレベルでなされてきました。その先駆けになったのは長老派教会でした。1996年12月、「大虐殺に抵抗出来なかったばかりか告発の声すら上げられなかった」ことを、年次総会の参加者一同が神と国民の前で悔改め赦しを請いました。更に、国民と世界の諸教会に対して、ルワンダを覆っている偏狭な民族主義や宗教的分断に断固として反対し、キリストによる一致のために共闘してくれるようにと呼びかけたのでした。しかし、この様な動きを疑問視する声もあります。例えばカトリック教会は、信徒や聖職者の一部が虐殺に加担した事実は認めながらも、それは個人の責任において悔改めるべき問題であり、教会の名において罪責を告白する必要は無いと主張しています。一方、プロテスタントでもこの問題に関して統一見解を見出せずにいる教派が少なくないようです。
 
NGOによる癒しと和解の働き
現地の教会が悔改めの途上にある中、和解の働きを積極的に展開してきたのがキリスト教系NGO(民間援助・協力団体)です。その内の一つアフリカ福音エンタープライズ(略称AEE)は、9年間に渡って牧師・神父・信徒リーダーを対象に「癒しと和解のミニストリー」を展開してきました。この働きは、これらの教会リーダー達を含め「全てのルワンダ人が傷ついている」、「傷ついている人々が和解へと歩みだすためにはまず彼らが癒されなければならない」、そして「癒しの力の源はキリストの十字架にある」との理解に基づいて進められてきました。このミニストリーの柱は、以下に紹介する3日間の特別修養会です。
 
修養会前半の中心テーマは癒しです。聖書の学びの後、参加者は各自心の中で深い傷となっている事柄を五つ書き出すように促されます。次に、それらを他の参加者と分かち合います。まず少人数で、そして最後には参加者全体でお互いの痛ましい経験について語り、また聴きます。それから前半部のクライマックスを迎えます。祈りと賛美の中、参加者は会場の中心に据えられた木製の十字架の前に歩み出、自らの傷について書かれた紙片を金槌で釘付けにするという象徴的な行為に参加します。十字架は赦しと贖いの象徴です。それは、癒し主イエス・キリストが私達の悲しみや憎しみを背負って下さった場所でもあります。自分を捕らえて止まない悲しみや憎しみの全てを、その十字架に差し出すようにと招かれるのです。
 
後半部の焦点は悔改めと赦しです。聖書の学びとワーカー達による証の後、参加者は心の内に与えられた悔改めの思いを会衆の前で言い表すように導かれます。私が参加した修養会ではまずフツの男性が立ち上がり、大虐殺当時あらゆる残虐行為がフツ系住民によってツチの隣人達に対してなされこと、しかし、それにもかかわらず自分が傍観者に甘んじてしまったことを涙ながらに告白しました。すると、泣き崩れていた彼をツチであるAEEのワーカーが抱きかかえ、彼の癒しと赦しのために祈りました。その後、数人のフツの参加者による告白と謝罪がなされ、しばらくして虐殺生存者であるツチの女性が立ち上がりました。彼女は、自分が全てのフツを憎み、殺人者呼ばわりしてきたことをフツの参加者に謝罪しました。またツチの男性は、多くのフツ系住民が報復として現政権の兵士によって殺されたことに触れ、自分はフツの人々の苦難を知っていると語りました。
 
ほとんどの参加者にとって、この相互謝罪の経験は衝撃的な出来事でした。「敵」側の人間で自分達の苦難に理解を示す者など存在するはずがないと思っていたからです。しかし、今や両者の間の「隔ての壁」が崩れ始めたのです。キリストが「十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされ」たこと(新約聖書 エフェソの信徒への手紙2:16)を想起するようにとの招きによって修養会は終わりました。
 
バプテスト教会での出会い
約8年間この「ミニストリー」に関わってきたワーカーによると、特別修養会に参加した教会リーダー達を中心に、全国各地で「癒しと和解委員会」が結成されているということでした。調査期間もほぼ終わりに近づいていた頃、私はルワンダ北西部のギセニ県ガセケ郡にあるバプテスト教会の事務室で、その地方で結成された「委員会」のメンバ17人と会いました。代表であるバプテストのセブヘレ牧師によると、彼等は2002年2月に地元で開かれた修養会に一緒に参加した人達で、その時の経験を地域の人々と分かち合うために委員会を作ったとのことでした。既に修養会の進め方についての訓練も受けたということで、セブヘレ師は「虐殺の生存者と刑務所にいる人達の家族、そして青年達を対象にした集会を開いていきたい」との抱負を語りました。
 
私はそこに集っていた人々と話をする中で、多様な人々がその働きに加わっていることに驚きました。7人中2人はイスラム教徒の女性でツチの虐殺生存者でした。クリスチャンのメンバーの中には、フツで以前ゲリラ活動に参加した過去を持つ牧師や、夫が虐殺加担の容疑で拘留されているという女性もいました。更に私が驚いたのは、彼等から和気あいあいとした雰囲気が醸し出されていたことでした。その驚きを率直に伝えたところ、彼等は口々に修養会に一緒に参加したおかげたと答えました。イスラム教徒とクリスチャンが一緒に働くことなど以前では考えられないことだということでした。虐殺生存者協会の副代表を務めているというイスラム女性は、「私は以前、フツの人々全てにどうしようもない恐れと憎しみを抱いていました。でもあの集まりがきっかけでその様な状態から解放されたのです。今は、身の回りの人々があの苦しみから自由になるように、そのことを願って委員会の活動に参加しています」と、柔和な微笑をたたえながら語りました。
 
DSC00498.jpg
 
            <ギセニのバプテスト教会>
 
おわりに
ルワンダの人々の和解への歩みはまだ始ったばかりです。大虐殺を裁くための大衆法廷がようやく始まり、憎しみの記憶が「再燃」することが懸念されています。一方、現政権側の犯した戦争犯罪や人権侵害に関しては、声を上げることすら難しい状況が続いています。ルワンダを覆っている闇は未だに深いのです。しかし私は、少数であっても憎悪から和解へと「癒しの旅」を歩み始めている人々と出会いました。私は信じます。神様の和解の働きは、真っ暗闇にしか見えないような現実の只中でこそ進められていくことを。
 
「光は暗闇の中で輝いている」。 新約聖書 ヨハネによる福音書1:5  
 
2003年クリスマスを前に
 
(日本バプテスト連盟女性連合『世の光』2004年3月号掲載)

 

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