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トップ  >  正義と和解への試み  >  2003年レポート ルワンダの正義と和解への試み−

2003年レポート

 

大虐殺から九年

ルワンダの正義と和解への試み

 

はじめに

 「ウクリ・クラキザ」。1994年、70万人に及ぶ大虐殺により世界を震撼させたアフリカの小国ルワンダ。そのルワンダのあちこちで今、「真実は癒す(ウクリ・クラキザ)」というメッセージがポスターとして掲げられています。それは、大虐殺の真実を明らかにするために全国各地で始まろうとしている、民衆法廷への参加を呼びかけるメッセージです。

私は昨年、大虐殺から約8年を経たルワンダを訪れ、様々な立場の人々からお話を聞く機会が与えられました。その体験に基づき、大虐殺後の正義と和解への試みと、それにおける教会の役割について、数回に渡り報告させていただきます。

 

Truth heals_3.jpg

 

                   「真実は癒す!」

 

ルワンダという国

ルワンダは広大なアフリカ大陸の中部に位置し、国土が四国のほぼ1.4倍にしかすぎない内陸国です。人口は約800万人で、フツ、ツチ、トゥワという3つの「民族」がそれぞれ、人口の約85%、15%、1%を占めると言われます。また、「千の丘からなる国」とも呼ばれ、バナナ畑に覆われた無数の丘が連なっている緑の美しい国でもあります。

ルワンダはまた、福音宣教史上「福音化がもっとも成功した国」として知られた国でもあります。カトリックが19世紀末、プロテスタントが20世紀初頭に宣教を開始して以来、わずか半世紀の間に国民の大多数がキリスト教を受け入れました。現在では国民の約9割(カトリック約70%、プロテスタント約20%)がキリスト教徒であると言われます。

 

千の丘の国.jpg

 

                   「千の丘の国」ルワンダ

 

世界を震撼させた大虐殺

大虐殺は、この「福音化がもっとも成功した国」ルワンダで起こりました。1994年の4月6日、当時のフツ系大統領を乗せた航空機の撃墜事件の直後から殺戮が始り、ルワンダ愛国戦線(現政権)が虐殺の中心勢力を掃討するまでの約100日間に、人口の10%以上に当たる人々が惨殺されたのです。

ルワンダでは90年代の始めから、前フツ系独裁政権と、ツチ系難民を中核とするルワンダ愛国戦線の間で内戦が続いていました。内戦で劣勢に立たされると共に、国内外からの民主化要求の高まりによって追い詰められた政権内部の急進勢力が、国軍、民兵組織、行政組織等を動員して大虐殺を実行しました。ツチ系の一般住民が、反国家武装勢力の共謀者というレッテルを貼られ無差別に惨殺されたのです。更に、民主化やツチ系住民との融和を主張していた一部のフツ系住民も殺されました。

国内の数箇所にある虐殺記念館を訪ねると、今も大虐殺の凄惨さを垣間見ることが出来ます。私が訪ねた虐殺記念館の一つはレンガ作りの聖堂でした。虐殺当時に飛び散った血が、その聖堂の天井、壁そして床の所々に真っ黒い染みとして残っていました。「教会にさえ行けば命だけは助かる」。そう思って教会に逃げ込んだのですが、それは虐殺勢力の思う壺でした。まず聖堂の中に手榴弾が投げ込まれ、ほぼ無抵抗の人々が大きな農耕用ナイフでとどめを刺されたのでした。赤ん坊の多くは、壁に叩きつけられて殺されたということでした。

この大虐殺は世界のキリスト教界にも大きな衝撃を与えました。一般信徒ばかりか少なからぬ教会指導者の虐殺関与が明らかになったからです。大成功を収めたはずの「福音宣教」とは何だったのか。その内実が初めて問われることになったのです。 

 

教会がそのまま虐殺記念館として残されている.jpg

 

             <虐殺の現場となった教会の一つ>

 

植民地政策による現地社会の分断

この大虐殺が突きつけた問いに答えるためには、ルワンダにおける植民地統治と福音宣教の歴史に目を向けなければなりません。

19世紀末にまずドイツが植民地統治を開始しますが、第1次世界大戦後、ベルギーが宗主国の座を引継ぎ、1962年の独立まで植民地統治を続けました。約60年に及んだ植民地統治が現地社会に与えた影響の中でも特筆すべきことは、フツ系住民とツチ系住民の間に決定的な分断・対立構造が作り出されたということです。植民地化以前のルワンダは、ツチの貴族階級が支配する王国でした。しかし、王宮の支配が貫徹していた地域は国の中央部に限られ、周縁部ではツチ以外の様々な民族的な背景を持つ豪族が実質的に支配していました。

ドイツは、まず武力支援によりルワンダ王の全国征圧を助けました。王を中心とする支配体制を利用して効率的な植民地経営を目指したのでした。ベルギーは、身分証明書に各人の「民族」名を記載させることにより、それまであいまいであったツチとフツの区分を明確化しました。そもそも、それまで「フツ」とは王宮の支配者集団によって「被征服民」と位置付けられた人々のことであり、多様な民族的背景を持つ人々を含んでいましたが、この時から一つの民族として規定されたのでした。また、首長や副首長等の重要ポストをツチに独占させたばかりか、彼らの子弟のみに教育の機会を与えました。更には、植民地政府が導入した強制労働からも全てのツチ系住民を免除したのでした。この様な過程を通して、フツと規定された人々の間で「被抑圧民族」としてのアイデンティティーが形成され、「抑圧民族」であるツチへの憎悪が増幅されていったと考えられています。

 

大虐殺が起きたニハラマ教会の内部2.jpg

 

                     <教会の内部>

 

植民地主義と人種差別史観

この様なツチ支配強化政策の背景には、当時のヨーロッパで大きな影響力を持っていた人種差別史観があります。黒人は劣等人種であり、優等人種である白人の統治によって初めて未開のアフリカに文明がもたらされる。多くの植民地主義者達はこの様に考えました。アフリカの植民地支配の本質はヨーロッパ人による収奪ですが、この人種差別史観がそれを正当化したのでした。しかし、実際にはエジプトを筆頭に、アフリカにも洗練された文明を持つ国々が存在しました。そこで考えられたのが、古代にアフリカに移住した白人種が存在し、彼らが現地人と混血することによって文明がもたらされたのだということでした。その証拠として、それらの国々を支配している民族は黒色というよりは褐色であり、白人の様に鼻筋が通り背丈も高いのだという説明がなされました。ルワンダにおいては、ツチこそがその様な白人種の末裔であり、それ故に優秀な支配民族であると考えられたのでした。

 

植民地政府と宣教団の協力関係

ルワンダで活躍したヨーロッパ人宣教師達は、この植民地統治体制とどのように関わっていたのでしょうか?まず言えることは、両者が持ちつ持たれつの関係にあったということです。宣教師達は植民地政府の保護を受けながら活動し、植民地政府は現地の言語や生活習慣に通じていた宣教師達から様々な助言や忠告を受けました。ルワンダ社会に分断をもたらすことになったツチによる支配強化の政策決定には、特にカトリックの宣教師達が大きな影響を与えました。

宣教師達がツチ支配強化によって現地社会を分断しようという意図を持っていたわけではありません。また、それによって植民地経営を効率的に行なうことが彼等の眼目だったのでもありません。彼等は、ツチの王や首長等、当時の王宮支配層を改宗させることによって、最も効率的にルワンダを「福音化」出来ると考えたのでした。事実、ルワンダの「福音化」は、キリスト教への改宗を拒み続けていた国王の国外追放と、それに続く息子の即位と改宗以降に急速に進んだのでした。

植民地統治と福音宣教の目的は全く異なるものでした。しかし、それぞれの目的を達成するためには、ツチ支配体制の維持・強化が望ましいという点において、教会(カトリックとプロテスタント)と植民地政府は共通認識を持っていました。そしてその認識は、先に述べた人種差別史観の強い影響を受けていたと考えられるのです。

 

おわりに

教会は、植民地統治という名の収奪行為に協力したばかりか、福音宣教の名のもとに現地社会の分断と対立を深めることに荷担してしまいました。福音宣教の歴史に連なっている一人のキリスト者として、この教会が犯した巨大な罪を心に刻むことなしに、ルワンダの正義と和解の働きに与ることは在り得ないと思わされています。

 

参考文献

武内進一 「ルワンダのツチとフツ −植民地化以前の集団形成についての

       覚書−」、武内進一編『現代アフリカの紛争−歴史と主体−』 

        研究双書No500、アジア経済研究所、2000年1月

 

Tharcisse Gatwa, The Churches and Ethnic Ideology in the Rwandan 

                       Crises (1900-1994). A PhD Thesis Presented to the     

                       Univeristy of Edinburgh, 1998.  

 

 

(バプテスト女性連合『世の光』2003年12月号掲載)

 

 

 

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